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本記事の筆者 牡丹です。
幼少期~小学校卒業式の日まで場面緘黙症でした。
場面緘黙症を治すきっかけとして、転校など「環境を変える」という手段があります。
なぜなら、場面緘黙症を同じ環境で治すのは、本人にとって、とてもハードルの高いことだからです。一度、「学校で話せない子」とレッテルを貼られてしまうと、急に自分が話せたとしても、そのときに「しゃべった!!!」と驚かれるのが怖くてたまらないのです。
周りは「学校で話ができるようになったら、みんなびっくりするけど、それはみんな嬉しいからだよ」と諭すかもしれませんが、それは理解できても、行動に移すのは難しいのです。
本記事では、場面緘黙症の克服において「環境を変えること」の有効性、注意点を紹介していきます。
環境が変わったことでの成功体験
親からの情報だと、筆者は、2歳のときから場面緘黙症の症状が、はっきり出ていたそうです。
未就学児のときから、家族とは普通に話すのに、家族以外の人が目の前にいると全く話せなくなることがあり、親は不審に思ってたようです。
保育園時代も、ずっと場面緘黙症でした。筆者は、「小学生になったら、いい加減、どの場所でも話ができるようになりたい」と幼いながらに思っていました。
同じ場所で、話せるようになるのは難しかったので、保育園で話せるようになるのは諦めていました。
当時の筆者にとってはありがたいことに、入学した小学校は、保育園時代の知り合いが一人も居ませんでした。
「この小学校には、今までの自分を知っている人が居ない…!だったら、小学校1年生になるのと同時に、ちゃんと話したり動いたりできる自分になろう」
自分に誓いました。そして、実際に意思通りに学校でも話せて動けたのです。
「保育園ではできなかったことが、できてる…。しゃべれて動けるって、こんなにも素晴らしい毎日なんだ」と思っていました。
決してクラスで目立つ存在でもなく、口数は少ない方でしたが、「必要な時には声が出せる」だけでも当時の筆者にとっては万々歳でした。学校生活を「楽しむ」ということはできなかったものの、登校することはできていました。
時々、親から「学校で話をしているかどうか」のさり気ないチェックが入っていましたが、「今日、先生と〇〇の話をした」などと答えることができたので、親も安心していたと思います。
筆者は心の中で「絶対に今の自分をキープしていかなきゃ。保育園時代の自分とはもうサヨナラしたもんね。」と思い、自分にプレッシャーを掛けていました。
再発した場面緘黙症
場面緘黙症から解放されていた小学校生活。
それは、長く続きませんでした。
夏休みが終わり、2学期を迎えた頃、その日は急にやってきました。
緘黙・緘動がまた顔を出したのです。
ある日、筆者は給食の時間、給食を食べることができなくなりました。食べたくても、なぜか食べる動作をすることができないのです。お箸を持つことからできず、「手は膝」状態になってしまいました。
「なぜ…」と失望した筆者は、給食時間がどんどん終わりに近づいていくのに、食べることができず心の中で焦っていました。
同じ班のクラスメイトは、石のように固まって座っている筆者を不思議そうに見つめていました。
そして、担任の先生が筆者の様子に気付き、「早く食べて!給食時間が終わっちゃうよ。」と言いました。そのとき、「はい」と返事も言えず、既に声も出せなくなっていました。パニック状態の頭になり、どうしていいかわかりませんでした。
過去の自分に戻ってきたことがわかりました。
指示通りに動けない筆者に先生は「食べなさいよ」を繰り返し、最後は「早く食べなさい!!!」とクラスに響き渡る声を出しました。
教室は急に静まり返り、筆者は注目を浴び、そんな自分に腹が立ち、どうしていいのかわかりませんでした。
結局、それでも食べることができないまま、給食時間は終了しました。
この出来事が、長い長い場面緘黙症生活の幕開けでした。
それからは学校で話をすることも動くことも全くできなくなりました。
保育園時代の自分そのものに戻ってしまいました。とても悔しくて「こんなはずではない」と思っても、もう場面緘黙症と緘動に支配されてしまったのです。
せっかく小学校入学を機に変わることができた自分が、突然消え去ってしまったことに筆者自身も失望しました。
先生から、筆者のことを聞いた親も、驚くと同時に失望しているようでした。
幼少期もそうですが、このときも自分の意思に反して再び出てしまった場面緘黙症。「やっとどこでも話せて動ける自分になれた!」と思ってたところにやってきたのです。
まとめると、「小学校入学前の自分を知っている人が居ない環境になったことで、一時的に場面緘黙症を自分の意思で克服できた。でも、自分の意思に反して再発してしまった」というのが筆者の経験でした。
自身の事例を振り返っても、本当に場面緘黙・緘動というのは自分の意思と関係なく出てしまう不安症であることを実感します。
密かに抱き続けた「転校願望」
場面緘黙症・緘動と一緒に過ごすことになった学校生活は、とことん大変でした。
急に人間味を失った筆者の様子に、「一体どうしたの」と、周囲は引いていました。
「学校で話もできて、動けてたときみたいに戻りたい」と思いましたが、到底無理でした。家に帰ってからも、学校が休みの日も、ずっと悩んでいました。
そして、筆者自身の中では「転校したい」という気持ちが密かにありました。「もう一度、知らない人の集団に行けば、また自分を変えるチャンスとなる」と感じました。
ですが、実際「転校したいから転校する」なんてことができないのは、理解してました。
また、仮に、転校願望を親に伝えても、『転校したいなんていう大掛かりなことを言わずに、いまの学校で話せるようになりなさい』と、言われるだろうと思いました。
結果的に、筆者は入学~卒業まで同じ小学校に在籍しました。
環境が変わったことでの成功体験Ⅱ
筆者が場面緘黙症を本当に克服できたのは、中学入学のタイミングでした。
小学校入学時、環境が変わったことを機に学校で話せた過去があったので、筆者の親は「中学入学を機に新しい環境をつくるほうがいい」と考えてくれたようです。
小学校低学年のとき、家で親から「学校でもいい加減話せ」と言われるたびに筆者は逃げ腰の反応を示していたので、いつしか親とも学校の話はタブー化していきました。
しかし、親は密かに「環境を変えること」の有効性は理解してくれていたようで、とてもありがたかったです。
「牡丹が中学に入る前に引っ越そうと思ってる」とだけ、小6のある日、親に告げられた時、びっくりしましたが、「これを機に変われるチャンスが来た」と救われました。
仮に、小学校時代の同級生と同じ中学に入学していたら、場面緘黙症を治すことは難しかったと確信しています。
実際に、中学入学と同時に自分の意思通り、場面緘黙症とはサヨナラし、それ以降、「特定場面で完全に話せなくなる」という症状は再発していません。
このときは、環境を変えることの有効性が本当にあったと言える事例でした。
環境を変えることの有効性は?
上述したように筆者は、「環境を変えること」によって、場面緘黙症を克服した過去が2回あります。しかし、一度は再発したのも事実です。
「再発しない」とは限らないが、有効性はあると考えられます。
卒業・入学のタイミングで環境を変えることができるのであれば、検討する価値は十分あるでしょう。
転校の注意点
場面緘黙症の克服に「環境を変えること」が有効であるなら「我が子を転校させた方が良いかも」と考える親御さんも居ると思います。
転校という手段を視野に入れることも良いでしょう。
では、ここで転校を考える際の注意点も紹介しますので、良かったら参考にしてください。
①環境の保証はない
転校先の学校環境が、今の学校よりも良いとは限りません。
校区の評判も、重要事項ですが、それだけで判断をするのも実際は難しいでしょう。
筆者が通っていた小学校も、「非常に良い校区」と言われていて、人気だったそうです。
しかし、場面緘黙の子にとって「良い」学校かというのは、全く別の話になってしまいます。当時は、「場面緘黙症」は全く知られていない時代で、筆者は学校の中で「しゃべらない変な奴」というレッテルを貼られているだけでした。
想像を超えるレベルのいじめ、ある学年のときには教師からのいじめもありました。
もし、現在の学校が、それなりに場面緘黙症に対して理解があり、本人への配慮もある環境であれば、「場面緘黙症を克服すること」だけを目的に転校すると、後で後悔する可能性もあるでしょう。
「前の学校の方が、まだよかった…」と思ってしまうこともあるかもしれません。
一方、学校からの理解が得られない環境だったり、本人が学校に行くことができないほど苦痛を感じているのであれば転校を視野に入れることも手段です。
②再発の可能性
転校前も転校後も一緒に過ごす人が変わるだけで、「学校」という場所であることには変わりありません。
場面緘黙症は、学校等の社会場面で話せなくなる不安症なので、行く学校を変えても不安気質自体は変わらないでしょう。
実際、場面緘黙症の子は、転校により成功したパターン、失敗したパターンがあるようです。吉と出るか凶となるかは、「そのときの本人の状態」や「転校先の環境」など様々な要因の相互作用によって、左右されるのは確かだと思います。
転校した初期の頃は、話せても、後々場面緘黙症が出てくることもあるかもしれません。
場面緘黙症の力は、恐ろしいです。人間よりも場面緘黙症の方が強いのです。
本人がどんなに話したくても、それを許しません。
本人の潜在的不安やストレスを強くさせる環境であれば、転校先でも場面緘黙症が出てしまうかもしれません。
③転校生は、注目されやすい
「今日から転校生が来ました」とクラス全員に紹介される転校生。
転校生は、新しい存在であり、注目されやすく、転校生の行動は意外と見られています。そんななかで「この学校では普通に話せるようになろう」と本人が意気込んでいても、一挙一動に注目されることがストレスやプレッシャーになってしまう可能性もあります。
④本人の意思を大切に
転校を視野に入れる際、「必ず本人に意思確認をする」のが重要であると考えられます。
家族とは話ができるケースがほとんどだと考えられるので、家族から「転校という選択肢もあるけど、どう?」と尋ねるのが良いでしょう。
最初はなかなか本音を言わなかったり、「自分のためにわざわざ?」と戸惑いもあるかもしれませんが、その子なりの答えはあるはずなので、急がずゆっくり結論を出していくくらいの構え方で良いはずです。
本人の意思あっての転校であれば、結果がどうであっても、『自分が転校を希望したのだから』と、納得もしやすいです。
⑤親からプレッシャーを掛けすぎない
転校の方向が定まった際は「転校したら、学校でも話せるようになるだろう」と、本人も親も希望を持つでしょう。
しかし、「転校したら絶対に話せるようにならないといけない」というプレッシャーはよくないです。また、もし転校先で話せるようになっても、それまでコミュニケーションの機会を持てなかった場面緘黙児は、会話スキルなどが未熟で、苦労することもあるでしょう。
「何を話していいのか難しい」「話せるけど、精神的には無理をしている」というような状態になるかもしれません。
このように、話せるようになったならではの苦労も出てくることもあるので、『いつでも相談していいよ』と子供がなるべく安心できる環境を用意することが良いと考えられます。
転校先でも初日から話せない場合や、一定期間のあとに場面緘黙症が再発する場合も、ないとは言えません。
その場合もプレッシャーは掛けずに『転校して、場面緘黙症を治そうとした努力』にフォーカスすることが大切です。
まとめ
筆者以外の場面緘黙症当事者も、環境を変えたことを機に場面緘黙を克服した方は、多い印象です。
新しい環境を用意することは、場面緘黙症を克服する大きなチャンスです。
親御さんの気持ちとしては
・「大変な思いして転校させたんだから、いい加減学校でも話して…!」
・「いつまでも学校で話せないと不安。一日でも早く話してほしい」という切実な気持ちはありますね。
ともあれ、新しい環境を経験することは、成功であれ失敗であれ「経験」としては価値があります。
期待通りにいかなくても、「今は環境を変えても、場面緘黙は治せない。まだ長く上手に付き合う方向が大切」ということがわかります。
親も子供にプレッシャーを掛け過ぎず、本人も気負い過ぎることなく、「いつか治せる日は来る」と気長に構えることも時には必要です。
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