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本記事の筆者 牡丹です。
幼少期~小学校卒業の日まで場面緘黙症でした。
筆者が場面緘黙症だったときは、場面緘黙症自体、全く知られていない時代でした。したがって、筆者自身も親も先生も、筆者が「場面緘黙症」と言う不安症であることは、知らない状態でした。
「家では話せるのに、学校では話ができない子」を手探りで対応することは、当時、先生方にとって大変なことだったでしょう。
本記事では、当時の先生の苦悩について筆者の考えを紹介します。
話せない生徒をどう説明するか
学校では一言も話せない、そして動けない筆者は、クラスの中である意味、注目の的になっていました。
低学年のとき。
「牡丹がなんでこうなのか、先生なら知ってるでしょ」と言わんばかりに、担任の先生に「牡丹ちゃんって、なんでおしゃべりしないの?」と先生に尋ねている子たちが居ました。
そのたびに、先生は苦い顔をして「そんな言わないの!」と対応していました。
当時は、先生も、理由がわからなかったと思います。
先生は、筆者が学校を休んでいたある日、みんなの前で「みんな聞いてね。牡丹ちゃんは、心の病気なんです。」と説明していたようでした。
次の日、学校に行った筆者は、クラスメイトが会話しているのを聞いて、ショックを受けました。
「牡丹ちゃんは心の病気なんだから、こうなんだよ。昨日先生が言ってたもんね。」
「そうそう。」
自分が居ない間に「心の病気」と説明されていて、その言葉が妙に一人歩きしていました。
それからというもの、何かに付けてクラスメイトから「お前は、心の病気だから…」と言われるようになってしまいました。
高学年のときの担任の先生は、筆者のことを「お話が苦手な子」「毎年こんな子は一人くらいいるんだよ。」というふうに説明していました。
当時であればこのような説明になってしまったのは、仕方ないでしょう。
今では、先生から正しく「場面緘黙症」について、生徒たちに説明がされることを望みます。
「えこひいき」と言われてしまう対応
筆者は、低学年の時、緘黙に加えて緘動症状も重かったので、クラスメイトの前では動くことができませんでした。
例えば、筆者は体操服への着替えや学力テストの受験も、人目があるところではできなかったので、別室を用意してもらうこともありました。
しかし、「牡丹だけずるい」「先生はえこひいきしている」と他の生徒たちから、言われてしまうことになります。
その声に先生も何と返してよいのか、困っていました。
もちろん、筆者も「えこひいき」と言われることに、心を痛めていました。
そして実際は、別室隔離の対応をしてもらっても、クラスメイトが覗きに来ることも多く、それにびびった筆者は、別室でも動けない状態でした。
一方、今は「合理的配慮」という言葉があります。
2016年4月、「障害者差別解消法 (正式名称:障害を理由とする差別の解消の推進に関する法律)」が施行されました。
この法律では、”障害を持った人へ「合理的」に配慮し、過ごしやすい環境をつくること”を、定めています。現在はメディアでも「合理的配慮」について、取り上げられることもあるほどなので、認知度は上がってきているでしょう。
もし、周りに知らない方が居たら、是非広めていってください。法律が大きな味方になってくれたのです。
現在であれば緘動症状のある子に対して、別室対応することは「合理的配慮」に含まれます。
評価に困る「話す力」
小学校では、学期末の終業式の際に、通信簿が渡されます。
学校生活での様々な評価項目があり「できる」「できない」で評価されますが、筆者の通信簿を付ける際、担任の先生は困ったと思います。
実際、筆者の通信簿は6年間、「話すスキル」の項目は「できる」「できない」どちらにも「〇」が付いていない状態でした。
「家では話せるというのは知っているけど、学校ではそれができない」となれば、確かに評価できないでしょう。
筆者自身も、家に帰って自分の通信簿を見るたびに「情けない…」と思い、親にもその通信簿を見られることが、とても苦痛でした。
まとめ
「場面緘黙」という不安症の存在を知らない状態で、場面緘黙児の対応をすることは、担任の先生にとって苦悩の連続だったと思います。
筆者の担任の先生も、どう対応して良いのかわからず、職員室で他の先生にも相談してたそうですが、ベストな答えが出ることはなかったようです。
時代は変わり、現在は、場面緘黙症の情報は驚くほど増えています。
先生方も「よくわからないけど学校では話せない子」の対応ではなく「場面緘黙症の子」の対応になってきているのは良い流れです。
合理的配慮の概念ももっと広まり、「場面緘黙症を抱えても生きやすい社会」を実現していくことが次のステップです。
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