※本ページには広告が含まれます
本記事の筆者 牡丹です。
幼少期~小6の卒業式の日まで場面緘黙症でした。
場面緘黙症の当事者だった過去を振り返ってみたとき
「当時、周りの大人たちから言ってもらいたかった言葉ってなんだろう?」
「どんな状況だったら、場面緘黙症を持ってても、心は健全でいられただろう?」
と自分に問いかけました。
本記事では、「当時の自分への理想の対応」とはどんな対応か、考察します。
理想の言葉
「保育園(学校)で話せないのはつらいことだね。けど、これはあなただけじゃなくて、他にも同じ人はいるんだよ。
そして、話せないのは、あなたのせいではなく、不安が大きい特徴のせいなんだよ。
家で話せるのはとても素晴らしいことだから、これからもたくさん話してね。
あなたは、これからも無理せずそのままでいい。」
このようなことを当事、周りの大人に言ってもらえてたら場面緘黙症を持ってても筆者の人生は大きく違ったと思います。
もし、筆者の目の前に場面緘黙症の子が居たら、同じことを伝えたいです。
では、上述した言葉を要素的に嚙み砕いて、見ていきます。
①共感してもらうこと
【保育園(学校)で話せないのはつらいことだね。】
当時、自分の気持ちを言葉にできずにいる苦しさをわかってくれる人は、どこにもいませんでした。
誰かが、このつらさへの共感の言葉をくれたら、どんなに救われたかと思います。
②孤独からの解放
【けど、これはあなただけじゃなくて、他にも同じ人はいるんだよ。】
場面緘黙症は孤独の極みでした。
保育園時代も小学校時代も、話せない子は筆者以外、見当たりませんでした。
幼少期から「自分は何かの間違いで生まれてきた人間だ。人とは悪い意味で違っている。」と思い、自分が生きていることに嫌気がさしていました。
「私みたいな人間はこの世で私だけなのか。それとも、同じような人が存在するのか。」
もし、どこかに自分と同じような「学校では話せない人」が存在するなら、その人と繋がりたい気持ちでした。
筆者は、同級生だけでなく他学年の人も含め、学校中の人を血眼で観察するようになりました。
もちろん、寡黙な子はいました。
でも、彼らは、必要な会話・発言は、ちゃんとしており、全く言葉を出せない子は居ませんでした。探しても探しても見当たりませんでした。
当時の筆者の家には、ネット環境もなく情報入手手段がありませんでした。
結局、自分の学校中を見渡しても同じような人は居なかったため、自分はこの世界でたった一人の「学校で話すことができない変人」という結論に至りました。
でも実際は、500人に1人と言われる場面緘黙症なので筆者が当事者だった頃も、同じように場面緘黙症を抱えていた人たちは、筆者の知らないところに居たはずです。
本来、「学校で話せないのは、自分だけではない」という事実を、当時知ることができたら、どんなに良かっただろうと思います。
③罪悪感と自己否定からの解放
【そして、話せないのは、あなたのせいではなく、不安が大きい特徴のせいなんだよ。】
筆者が当事者のときは、保育園の先生も、小学校の先生も、親も《場面緘黙症》というのを知らない時代でした。
もちろん、筆者自身も知りませんでした。
そのため、「早くちゃんと話してよ」と怒られ続けました。
筆者は、このように「自分の意志で話してない」と思わされる環境にいて、本当に自分のせいだと思ってきました。
話せないことが、自分のせいではなくて症状が原因だと知ることで人は大いに救われます。
④肯定的な受容
【家で話せるのはとても素晴らしいことだから、これからもたくさん話してね。あなたは無理せずそのままでいい。】
「家ではしゃべるくせに!」
場面緘黙児がよく言われてしまう言葉の一つですが、よくよく考えると家では話せるということは、良いことです。
家にいるときは、素の自分で過ごせて、言葉で意思表示もできるという、こんな大切な時間を場面緘黙児から奪ってはいけません。
現実的に、筆者は周りから
「家に帰ったらベラベラ話すくせに学校で話さんとか、ないわ。いくら学校が嫌いだからって」
「家でしか話さないとか、どんだけ甘やかされたん?」
と厳しい視線が常に注がれてました。
そう言われ続けると、家で話すことも悪いことというふうに思えてくるのです。
「そこまで言われるなら、もう家でも話さないよ…」と思い、学年が上がるにつれて家でも口数を意図的に減らしていったことはよく覚えています。
こんなことはあってはいけないはずです。
今だから言えることですが、生まれてきた人間はきっと誰もが生きている意味があります。
場面緘黙児も、ただただ否定的な見方だけをされて生きることは、非常に苦しいのです。
「学校では話せないけど、家では普通に話すことができる」
こういった肯定的な観点を持ってもらうことも時には必要です。
また、場面緘黙症は治るまでに時間を要します。
だから、急かすことなく、「ゆっくり治そうね」という身構えでいいと思います。
場面緘黙症であっても、丸ごと受け入れられてるという自己肯定感を持つのが重要だと思います。
以上です。
まとめ
周りの大人が、子供の場面緘黙症を急いで無理やり治そうとすることは難しいことです。
場面緘黙症は、本人のものですから、周りの都合や思いで治せる簡単なものではないのでしょう。
筆者自身も、先生や親がいつも「早く保育園(学校)でも話せるようにさせなきゃ」という態度でいるのが、ひどくプレッシャーになっていました。
保育園時代は先生から
「小学校に入ってからお話できるようになるんじゃなくて、保育園を卒園する前にちゃんと、お話しできるようになりなさいよ!!!」
と言われていました。
こういったプレッシャーは、場面緘黙児をより不安の境地へと追いやります。
「話したくても話せない」
これは、場面緘黙症を理解していただくのに基本となることです。
やはり、場面緘黙児に対して声掛けをする際には、場面緘黙症に対する正しい最低限の知識は必要となります。
本記事で紹介したことが、少しでも場面緘黙児への言葉掛けの参考になればと思います。
コメント