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本記事の筆者 牡丹です。
幼少期~小6の卒業式の日まで場面緘黙症でした。
場面緘黙症は、まだわかってないことが多く、謎ある不安症です。
本記事では、筆者の場面緘黙症についての疑問を綴ります。
場面緘黙症の現在の定説
場面緘黙症については、やはり下記の仮説が現在、定説なのでしょうか。
『扁桃体は、脳の中で不安感情を司る働きがある。場面緘黙症の人は、脳の扁桃体部分が、過剰に活動している。
それによって生じた過大な不安から、自分を守るために、学校などで話ができず場面緘黙症となる。』
このように場面緘黙症は、不安症の一つであると説明されています。
筆者は、本仮説を初めて知ったときは大変驚きました。『当事者として、納得しました』ではなく…それどころか、疑問で頭がいっぱいになりました。
疑問① そもそもの「不安」は感じない
場面緘黙症が不安症であることを知った時「そうなの??!?不安が原因?」と驚いたことをよく覚えてます。
正直、「不安だなぁ…」と感じてる自分を自覚することはあまりありませんでした。
筆者がまず自分に対して思ったことは「あれ?自分って家では、しゃべれるけど保育園来ると、なぜかしゃべれてないな」という疑問が最初に来ました。
そしてその次には「どうしてこんなことになるのかな?でも話そうと思っても、保育園ではできない…」という不思議な感覚でした。
それに加えて、「自分への苛立ち」・「皆と同じではない孤独や劣等感」を抱えてるのは明確に認識してました。
でも直接的に『◎◎が不安』というような感覚は、頭のなかになかったんです。
だから、【不安】は自覚することもなく、無意識で常に感じてるものだったのかもしれません。
要するに、自分のデフォルトだと思ってた状態が、もしかしたら客観的には『非常に不安を抱えてる状態』だったのかもしれないです。
不安症について思い当たること
でも、思い返せばこんなことがありました。
「不安になりやすい気質」というのは後から考えれば、合致しているような気もします。
小学校では平和学習があり、戦争について学びました。内容は、主に第二次世界大戦のときの日本の悲惨な状況でした。
広島、長崎に投下された原爆の話や、終戦後の日本のことなど、沢山教わります。
筆者は当時、平和学習の内容が頭に入りすぎてしまい
「戦争当時と同じような悲劇が、そのうち自分のところで、起こるかもしれない。明日から急に戦争が始まったらどうしたらいい?」
「原爆が、自分の近くに急に落ちる日が来るのではないか」
等、真剣に考えてどんどんこわくなりました。
本気でそんな心配をし出して、不安感情が止まりませんでした。
そのときは、自分が不安になってることは自覚しました。
そして、飛行機が上空を飛んでるだけで「もしかして戦争始まった?空襲が始まる?原爆を落としに来た?」などと本気で思ってしまうことが長く続きました。(実際は、旅客機が飛んでいるだけです)
救急車や消防車のサイレンを聴くだけで、「戦争始まった?どこに逃げたら?」と思ったり。常に本気で身構えてました。
毎晩、神棚の前で「戦争が起きませんように」と全身全霊で、神様に祈ってた時期もありました。
自分が怖がりすぎだったことは、徐々にわかっていきましたが、そんな大きな不安を抱えていたことを思い出します。
学校で話せない、動けないといったつらさに加えて、このような不安も加算されてたのは、普段以上にしんどかったです。これが、場面緘黙症に起因する不安の強さだったのか、断定はできませんが実際このように不安が強く、心が裂けそうな毎日も経験したことを思い出しました。
無意識の不安は常に抱えつつ、時に何かの刺激によって、どうしようもないくらいの不安ができたりするのかもしれません。
場面緘黙症を語る上で【不安】は切り離せないのかもしれません。
疑問② むしろ場面緘黙症自体が、不安の増大に
筆者は当事者の時、場面緘黙症に、守られているという感覚はありませんでした。
「学校で話ができない」ことによって、不安を減らすことができたという利益感覚も全くありませんでした。
むしろ、学校で話せないのは、毎日苦しくてたまらないので、学校でも普通に話せるようになることが筆者の究極の願いでした。
そもそも、不安から自分を守るためには、「自分の声でいつでもSOSを出せる状態」が、良いのではないかと考えます。その方が、周りに助けを求めることもできます。
逆に、「学校で話せないこと」が原因となる不安なら沢山ありました。
・『自分は、学校で話せないダメ人間』と毎日悩みながら、一体いつになったら学校で話せるのかという不安
・自分の意思を表現できず、周りからずっと誤解をされつづける不安
・どんなにいじめられても言い返せないため、明日はどんないじめをされるのかという不安
具体的な不安を挙げればキリがありませんが、そんな様々な不安を抱えるのが、実際の結果でした。
だからこそ、不安から自分を守ってるどころか、寧ろ、もっと不安を作り出すことになってたと思います。
扁桃体の過活動に関しては、脳の機能であるので、仕方がないと思います。ただ、わがままな意見ではありますが、不安から自分を守るのであれば『場面緘黙症』という形でなくて、もっとよりよい方法で守れないのかと疑問に思ってしまいます。
無理に納得したい部分もあったけど、このことは腑に落ちないまま、何年も過ごしています。
まとめ
場面緘黙症の方を対象に、「どのような支援プログラムが有効か」等の研究は、散見されます。
一方、場面緘黙症の脳レベルでの詳しいメカニズム研究は、まだ今後の課題だと思います。
なぜ場面緘黙症というものが人間に生じるのか。
場面緘黙症じゃない人間と、場面緘黙症になる人間がいるのはなぜか。最終的に何が決定因となるのか。
そんな疑問が何年経っても晴れません。脳レベルで、当事者も納得できるような解明がなされることを願います。
筆者は、一人の当事者の立場なので、研究に関することは他力本願になってしまっているのが現状です。
しかし、自分が生きている間に解決したい疑問なので、自分で出来ることがないかも、同時に考えていきたいです。
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