本ページには広告が含まれます
本記事の筆者 牡丹です。
幼少期~小6の卒業式の日まで場面緘黙症でした。
場面緘黙症は端的に「学校などの社会場面で話せない」と説明されます。
しかし、筆者の経験から言うと、正しくは「学校関係者と話せない」でした。
学校という敷地以外の場所でも、学校の先生や友人とは話せませんでした。
本記事では、当時の筆者の状況を詳しく紹介します。
放課後や休日
お出掛けのとき
家族と買い物やレジャー施設に、お出掛けのとき。
確実に学校関係者(先生、同級生)がその場にいない場合は、筆者は何の気兼ねもなく話せました。要は、家での状態と同じです。
しかし、小学校の同級生は、基本的に皆、近くに住んでいて生活圏内も同じなのです。
当然、近所のお店や道端、施設などで遭遇することはあります。
学校関係者に出くわしたことに気付いたら、筆者は、その瞬間、話せなくなり、動けなくなりました。
その瞬間までは家にいるときのように普通に家族と話していたのに、大慌てで無口無表情の自分と化すことになるのです。
そして、『気付くの遅かったかな?さっきまで話したり動いたりしてたところ見られちゃったかも…どうしよう。やばい。学校の他のみんなに言いふらされるかも』と恐怖が襲います。
『学校関係者の前では、常に話せない動けない私でいないといけないのに、見せてはいけない姿を見せてしまった』という気持ちになるんです。
自分でも不思議でした。
急に黙り、動かなくなってしまうことで、家族は「どうしたの?」となってしまいます。
本屋に行ったとき、家族との会話中に突然、同級生が視界に入り筆者はうろたえて、とりあえず声のボリュームを落としたこともありました。
『なんで急に小さい声になるの?』と家族に言われました。そうやって、家族とも気まずくなってしまうのです。
親とスーパーで買い物をしているとき、同級生に出くわしたときも瞬間的に動けなくなってしまいました。
ちょうど親から「◎◎を探してきて!」と言われてその商品を見つけて手に取り、親の元へ戻ろうとしたときにクラスメイトと目が合ったときもありました。
商品を持ったまま足が固まり、同級生がその場を去るまで一歩も動けないというときもありました。
どこの場所であっても「学校関係者」の人が居たら、学校での状態と同じになってしまうのが現実でした。
学校関係者と過ごすとき
学校の友人宅に招かれて遊ぶときもありましたが、筆者は完全に学校と同じ状態でした。一言も話せないのです。
友人のお母さんがおやつを出してくれた時も、筆者は食べることもできませんでした。
「せっかく友人と遊んでいるのに、こんな時でも学校の時みたいに話せず動けずなんて…」と悔しい気持ちでいっぱいでした。
また、筆者の親は、筆者のクラスメイトを家に呼ぶこともありました。
親は、「家という場所なら、この子、学校の友達とも話すかも」と期待をしていたようです。
実際、家では流ちょうに話している我が子の姿を見ていれば、そう思うでしょう。
でも実際は、学校関係者が遊びに来た時、筆者は自分の家でも場面緘黙症でした。
一人残らず帰ったら、やっと声が出せるのです。
遊んでいる間は、自分の家なのに何もできません。話すことも、おやつを食べることもかくれんぼに参加することもできず、固まってるしかできないのです。
そんな筆者の様子を見て、親は失望していました。
みんなが帰る頃には筆者はどっと疲れていました。
親も「せっかく友だち来てくれたのに」と肩を落とし、筆者との間に気まずい空気が流れるだけでした。
学校関係者以外と遊ぶとき
では、学校関係以外の友人と遊ぶときは…と言うと、普通に声を出せて元気に遊ぶことができていたのです。
「なぜかわからないけど学校での私を知らない人とだったら、普通に話して動けて一緒に遊べる。自分でも気持ち悪い」と感じていました。
習い事のとき
習い事というシチュエーションでも、「そこに学校関係者が居ない」という条件があれば、筆者は普通に話したり動いたりできました。
そのため、習い事で場面緘黙状態にならないためには、少々家から遠いエリアにしてでも、学校関係者が居ないところを選ぶということが、必要になりました。
親も、そのことは察してくれていたので、敢えて遠い場所を選んでくれていました。筆者は、わざわざ遠いところに行かないといけない情けなさは感じていましたが、ありがたかったです。
同じ学校の友達同士で塾などに通っているのはよくあることです。同じ学校の友達と、習い事でも楽しそうに学校の話をしている人たちを心底うらやましく感じていました。自分には絶対にできないことだったからです。
習い事も塾も、「先生と同じ年代の子供たちと、一緒の空間で学ぶ」ということは学校と同じです。
でも、なぜかそこでは話せるし動けるのです・・・・。(上記のように、学校関係者が確実に居ない場合)
ただ、不安は常にありました。「あまりないとは思うけど…。いつかそのうち、同じ学校の子がここに入会してきたら・・・私の学校での様子を暴露されてしまうかもしれない。そうしたら私はここには居られない」
もし、私の学校での様子を知られたら、習い事の先生や周りの子たちに追放されるのではないかという恐怖を抱いてました。
不安が的中したことも一度だけありました。
ある習い事で、同じ学校の同級生が入会してきたことがありました。
同じ学校とはいえ、別のクラスの子だったので顔と名前を知っている程度でした。それに習い事でのクラスも別だったので、同じ空間ではありませんでした。
しかし、「同じ学校の同級生が入ってきた」という事実だけで筆者は大きな恐怖を感じてしまいました。そして残念なことに、それまで普通に話して動いていた習い事の場でも、徐々に緘黙と緘動が顔を出し始めました。
周りは急に様子がおかしくなった筆者に困惑していました。
筆者も自分の意思に反して、学校と同じ状態になっていく自分に混乱をきたすものの、もう戻れませんでした。
結果的に、その習い事は退会するしかなくなってしまいました。
たった一人、学校関係者が入ってきただけで、その場所でも場面緘黙症が出てしまった事例です。
話せる・話せないの境界線は
筆者は、家のドアを開けて、中に入り、完全にドアを閉めたことが確認できた瞬間、話すことができました。
筆者の、話せる話せないの境界線は『家のドア』という1枚の板だったのです。
逆にドアが少しでも空いていたら、「学校関係者に声を聴かれたらまずい」と思い、話せませんでした。
まとめ
「場面緘黙だと、学校では話せない」と言うと、「学校外の敷地であれば学校関係者とでも話せる」と思う人も居るでしょう。
しかし、どんな場所でも、「学校関係者」が居たら、場面緘黙症の症状が出るというのが、筆者の実態でした。本記事のタイトル通り、筆者の状態は「学校で話せない」というよりも「学校関係者と話せない」というのが正しい説明になります。
話せる状況・話せなくなる状況は、本人が一番わかっています。
話せなくなる時は、「話したくても声が出なくなる」ときなので、そんなときは無理をさせないのが大切です。
「話せる場面では思いっきり話していい」
「話せない場面では無理して話せなくていい」
そのような大きな心構えで場面緘黙症の人を見守ることはとても大切です。
場面緘黙症の人が、急に話せなくなったときは、その理由があります。
「なんで急に話さなくなったの?」など問い詰められると、もっと苦しくなるのです。
コメント