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本記事の筆者 牡丹です。
筆者は、幼少期~小学校を卒業するまで場面緘黙症でした。
幼少期からもともと内向型の気質で、場面緘黙症を克服しても、その性格は変わっていません。
ところで、残念ながら「内向型」は「外向型」に比べて、良くない印象が浸透しているのが現実でしょう。
でも、朗報です!
「内向型」という性格で悩む必要はなかったのです。
それに、現在の社会は、内向型の人も生きやすい環境へと少しずつシフトしています。
本記事は是非、以下のような方に読んでいただきたいです。
・「内向型の性格を直そうと頑張っても上手くいかない」と悩んでいる方
・「内向型の性格と上手に付き合いたい」と考えている方
読み終わる頃には、「内向型の性格は、自分のせいではないこと」がわかり、清々しい気持ちになれるかもしれません。
内向型の疲れない生き方や、向いている仕事についても紹介します。
内向型の性格でもOK
そもそも「外向型」・「内向型」とは
まず、本記事のキーワードとなる「外向型」と「内向型」の意味を解説します。
「外向型」の具体的なイメージとして、以下のようなものが連想されます。
・社交的
・明るい
・いつも笑顔
・声が大きい
・人見知りしない
・リーダーシップがあり、場を仕切る
・口数が多い
・誰とでも仲良くできる
・飲み会やパーティが好き
・一人で問題を抱え込まない
一方、「内向型」の具体的なイメージとしてはこちらです。
・おとなしい
・控えめ
・声が小さい
・発言が少ない
・人に合わせる
・自己主張をあまりしない
・何を考えているのか分かりづらい
・大勢での会話が苦手
・飲み会やパーティが苦手
・悩み事があっても自分で抱え込む
私たちは、完全に「外向型」か「内向型」かどちらかに属すわけではなく、どちらの要素も持っているでしょう。
そのため、「外向型と内向型の、どちらの割合が大きいか」という見方が正しいと思われます。
本記事では、「自分は内向型の割合が大きい」と感じる人を「内向型」としています。
外向型か内向型は「遺伝子」で決まってた?!
内向型に関する本で、よく紹介されていることがあります。
・外向型の脳は、たくさんの刺激を受けることで満足するようにできている。 ・内向型の脳は、少しの刺激を受けるだけで満足するようにできている。
裏を返せば”内向型の人は刺激が多すぎる環境に居ると、キャパオーバーになってしまう”ということですね。
生まれつき「外向型」か「内向型」かが意志に関係なく決まってるのです。
私たちは、「新奇性追求遺伝子」を持っています。(DRD4遺伝子とも呼ばれる)
この遺伝子が、外向型は長く、内向型は短くできていて、脳の働きに違いを生み出しています。
外向型の「新規性追求遺伝子」は、長い分、刺激を多量に受けることができます。
反対に内向型は「新規性追求遺伝子」が短く、少ない刺激で満足します。
外向型の人は、頑張った結果「外向型」の振る舞いができるのではなく、自然体が「外向型」だということになります。
同じことを体験しても、その反応は人それぞれであることを考えると、納得がいきやすいでしょう。「こんなことくらいで、なぜ落ち込むの?」というような質問が無意味であることもわかってきます。
自分の内向型の性格を「直すべきもの」という考え方は、いますぐやめてみましょう。
「内向型」は、病気ではありません。人間の一性格です。
「外向型」>「内向型」という構図ではなく、本来、各々の良さを発揮すれば良いだけのはずです。
筆者はかつて「場面緘黙症」という不安症と闘っていた時期があります。
場面緘黙症の人は、やはり内向型の性格が多い印象です。
個人的に「場面緘黙症の人DRD4遺伝子には共通する特徴があるのかどうか」、非常に気になります。
例えばもし、場面緘黙症の人のDRD4遺伝子が、極端に短い傾向があるということだったら、場面緘黙症は「究極の内向型」なのかもしれませんね。
内向型の苦労
自己否定
「1年生になったら友達100人できるかな」という歌があるように、私たちは、人と上手く付き合い、たくさんの友達が居ることが良いという感覚で育ちます。
大きくなるにつれても「みんなの前で、ちゃんと発言する人」「協調性がある人」「リーダーシップがある人」「コミュ力のある人」が評価される傾向にあります。
「外向型こそが人間として認められる」という感覚は、いつの間にか私たちの心に根付いてしまい、疑うこともありませんね。
そんななかで、内向型の人は「自分は劣っている」と感じ、自己否定に走ってしまうのです。
集団生活が基本とされる社会は、内向型にとっては苦行です。
「この引っ込み思案の性格では認めてもらえない」
「結局、発言が多い人や声が大きい人が得をして、内向型の自分は損ばっかり」
「自己主張をしないから、なめられてしまう」
様々な悩みを一人で抱え込んでしまう場合も少なくありません。
親子でも分かり合えないときも
特に、親が「外向型」で子供が「内向型」の場合は、家庭内でもすれ違いは起こりやすいです。
一つ屋根の下に暮らす者同士で分かり合えない関係というのは、非常にストレスになります。
我が子を何とかして外向型人間化させようと焦る親と、なぜか親の要求に上手く適応できない子供。
筆者の両親も外向型で、筆者は内向型なので、なかなか親子間で分かり合えるときはありませんでした。
親は、筆者の「敏感さ」「不安になりやすい」「人間関係が苦手」という特徴にうんざりしていました。
外向型の親は、「この子の将来が心配。学校や社会でちゃんとやっていけるのかな」という不安から、子供に外向性を身に着けさせようと一生懸命になります。
もちろん、子供のために頑張ってくれてるのは事実ですが、子供側は無理を強いられているケースも多いでしょう。
無理に外向型っぽく振る舞う
内向型の人は、無理して外向型になりきろうとするときもあります。
短期間だったら、外向型を演じることはできても、結局はどこかで心のバランスが崩れる可能性は高いです。なぜなら、「自分に嘘をついている」からです。
本来の自分を「ダメなやつ」と思っていることだけでも、心には負担がかかりますね。
ましてや、自分の脳に逆らいながら「明るく元気に振る舞う」という行為は、大きなストレスになりかねません。
先ほども紹介した通り、内向型は刺激のキャパが少ないです。
集団の中に「居る」という行為だけでもエネルギーが吸い取られやすいのに、無理して正反対のキャラを演じると疲れ切ってしまいます。
外向型は内向型に憧れているかも?
ここで少し、新しい視点を持ってみましょう。
「外向型」の人は「内向型」に憧れているという、”意外な可能性”もあるのです。
筆者のエピソードを2つ紹介します。
あるとき、超がつくほど外向的な人(Aさん)と話す機会がありました。
私は、Aさんみたいになりたいなって、いつも憧れてます。
でも、難しいんですよね…。
明るく元気な自分を演出しようとしても、
気付いたらすぐに元の自分に戻っちゃうので。
えええ?そう?
いやー、私は牡丹さんみたいに落ち着いているほうが憧れるんよ…。
むしろ、牡丹さんみたいな雰囲気になりたいなって思ってた。
でも、いつも、ついつい喋ってばかりになっちゃって。
大きい口を開けて笑っちゃって。
落ち着いた雰囲気を出すのが、難しいのよね…。
このとき、「外向型の人は、自分が外向型であることを喜びながら生きているとは言い切れない」と見直すきっかけになりました。
もしかしたら、あなたが「あの人は、外向的でいいなあ。私もあんなふうになりたいのに」と思ってると同時に、その人からは、あなたが羨ましいと思われている可能性もあります。
外向型同士の集まりの場では、一見、楽しそうに盛り上がっているように見えますが、みんな「自分が話したい!」という気持ちを持っているかもしれません。
自分が話せず人の話を聴いてる側のときは、意外とストレスを感じているかもしれませんよね。
実際、このような例を見たこともあります。
「自分が話したい」という外向型の人ばかりが集まって会話をしている場を見ると、各々が口を開けば自分の話をしていて、話題がごちゃまぜになっていました。
一見、遠くから見ると盛り上がってるように見えてるのですが、よく見ると、皆、自分の話に誰も食いついてこないことに不満そうな様子でした。
人の話をじっくり聴くことができる内向型の人は、「外向型の人の話し相手」として、求められているかもしれないのです。
「内向型」はダメな性格と長年思い悩んできた方も、実は外向型の人からは憧れの目で見られてたこともあったかもしれません。
人間は、ないものねだりの生き物という側面もありますからね。
「外向型には外向型の悩みがあるのかも」と思うと、内向型の私たちも、少し楽になるかもしれません。
確実に存在する「内向型仲間」
筆者は、幼少期からずっと内向型で、大きな劣等感を背負って生きていました。
そんな筆者が自己肯定感を高めるきっかけとなったのはあるとき、「内向型」に関する本との出会いでした。
「内向型」をキーワードにした本を読み漁っていくと、自己肯定感が自然に高まり、「今までの人生で感じてきた劣等感が、必要ないものだった」と衝撃を受けました。
もちろん「内向型」と検索して色んな方のブログを読むのもオススメですし、本を探してみるのも有効です。
自分が所属した学校や職場は、全国からしたら非常に小さい集団です。
その小さい集団のなかで、外向型の人に囲まれていると、孤独を感じるのは仕方のないことでしょう。
一方、ネットの世界や本の世界へ視点を広げると、自分と同じような思いをして苦しんでいた人が一定数いることも実感できます。
同じような「内向型遺伝子」を持つ人は、意外と存在するので安心してくださいね。
「自分ひとりではない」という孤独感からの卒業は、今後あなたが生きていくうえで非常にプラスになります。
【内向型向け】疲れない生き方3選
無理のない人付き合いを
内向型の人は、無理に人と関わる機会を増やすことは、やめておきましょう。
例えば、今日、職場での飲み会があるとしましょう。
仕事が終わったあと、飲み会に行き、その後ノリで企画された2次会も行くとなると、一日中、刺激のシャワー状態になります。
外向型の人は、「2次会も当たり前!」という感覚で、楽しくグイグイ参加できるかもしれません。
一方、内向型の人にとっては、刺激過剰になる可能性も高いです。
「ノリが悪いと思われるのも嫌だ」と思って無理に参加するのは、脳に逆らった危険な行為です。
周りも、嫌々参加してほしいとは思っていないはずです。
もしあなたが企画した会に「本当は行きたくないけど無理して嫌々来る」という人が混じってたら悲しいですよね。それと同じです。
無理して行くと、「参加した」という事実は、確かに作れます。
でも実際は、楽しめない可能性も高く、「心ここにあらず」の状態になり、その方が「ノリが悪い」「疲れてるのに無理して参加させちゃったかな…」と思われる可能性だってありますね。
そして2次会が終わったあとは、もう脳はぐったりです。
最低限の集団生活は参加しても、+αの集まりは、自分の脳とよく相談して決めるようにしましょう。
内向型のあなたが、無理して集まりに参加しなくなることを祈ります。
罪悪感とはサヨナラ
先ほども紹介した通り、内向型の性格は「新規追求性遺伝子の刺激受容量が少ないこと」が原因です。
自分のせいでないことを「自分のせい」と勘違いしていたら、損なだけです。
今まで感じてきた罪悪感とはサヨナラしましょう。本来必要ないものだったのです。
まだまだ社会では「外向型が認められやすい」という風潮はあります。
あなたの内向型の性格を悪く言ってくる人にも遭うかもしれません。
そんなときは、「性格は遺伝子で決まっている。内向型を否定する人たちは無知なだけ」というように一歩リードしたような気持ちで構えておくのが得策です。
周りが否定してきても、自分自身が罪悪感を持たなければ、今までほど周りの声も気にならなくなるでしょう。
自分を定期的に客観視
定期的に自分を客観視しておくのが賢い生き方です。
「無理してない?」と時々、自分に問いかける意識を持ってみましょう。
内向型の人は集団場面に居ると疲れやすい傾向があります。
自分が疲れてないつもりでも、実際は疲れている可能性は大いにあります。
「なんかよくわからないけど疲れた」という気持ちこそ、ないがしろにせず、大事にしてください。
そして、疲れているのがわかったら、やりたくないことは一切やらずに休みましょう。
内向型の人は一人で落ち着いた空間を過ごすことで、また元気になれるのです。
内向型に向いてる仕事
内向型の人間は、組織で働くよりも、自営業のように独立して自分を主体にした働き方が合うと言われます。
内向型の性格だと、人と関わりの多い「職場」で疲れてしまうことも多いでしょう。
職場のストレスは、多かれ少なかれ誰にでもありますね。
しかし、同じ出来事があっても、内向型の人は外向型の人より敏感に「受け止めやすい」性質があります。
生きていくうえでは、様々なことをさらっと流していける力が必要な場面も多いですが、内向型にはハードルの高いことです。
現在は、コロナ禍の影響で急激に「テレワーク」が普及しました。
また、パソコン1台で家でできる仕事も増えています。
パソコン1台での仕事の例は、以下になります。
・自分のこれまでの経験をつづって、同じような悩みを持つ人たちに向けてブログを書く (最初からブログで稼ぐのは難しいですが、実際にブログで生計を立てている方は居ます。) ・在宅ワークができる時給制のアルバイトを探す ・クラウドソーシング(ネット上での仕事の取引をするサイト)で仕事を探し、自宅で仕事をする 例:ライティング・プログラミングなど ※特にライティングは初心者でも仕事が取りやすいと言われる
働き方は「職場で働く」だけではありません。
これからの時代は、「組織」の時代ではなく「個」の時代です。
「もう会社に行くのが限界」と感じている内向型の方は、早めに自分の働き方を見直す機会をつくりましょう。
まとめ
内向型の人は、自分のことを精一杯守りましょう。
周りがなんて言おうと、自分の良さを認めていく癖をつけることが重要です。
本記事の内容を踏まえて、内向型の方が今日から実践してほしいことを、段階的にまとめます。①番から少しずつ始めましょう。
①自己否定は絶対にしない
②自分の性格を認め、無理に変えようとしない
③内向型を受け入れて、自分の生きやすい生き方を選択する
④社交の場で無理をせず、自分の才能を発揮する
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