ご挨拶
当サイトにご訪問いただき、ありがとうございます。
運営者の牡丹(ぼたん)と申します。
私はかつて、学校という場所では声が出なくなる「場面緘黙症」でした。
「場面緘黙症」が知られていない時代に生きた
家では、大声で話すことも笑うこともできるのに、学校での私は正反対なのです。
当時、なぜそうなるのか自分でもわかりませんでした。
筆者が場面緘黙症だったときは、そんな病気があることすら、まだまだ知られていませんでした。
自分が「場面緘黙症」だったとわかって
筆者が場面緘黙症という五文字を知ったのは、場面緘黙症を克服してから4年後でした。
このときに、初めて学校で話せなかった理由が「自分のせい」というのではなく「病気が原因」ということがわかりました。
しかし、場面緘黙症だった過去が「自分の汚点」のように感じ、自己否定は続いていました。
「このままではいけない」と思い、場面緘黙症について真剣に掘り下げたのは、克服してから8年後くらいでした。
そして、「当事者だからこそ、場面緘黙症について正しく知っておきたい。」と思い、書籍を買って読んだり、場面緘黙症当事者の自助グループ会に参加しました。
そのときは既に場面緘黙症の書籍が、思ったよりもたくさんあり、驚きました。
場面緘黙症に関する色々な本を読み漁ってるなか、ある本の帯に
『話さないのではなく話せないのです』
と、書いてありました。
もう、この一言に尽きます。
自分の学校で話せなかった長い過去を、一言で言い表してくれていました。
このとき、全ての罪悪感から解放されたような、生まれてはじめて人権と市民権を得たような感覚でした。
筆者も当事者のとき、この言葉に出会いたかったと強く思いました。
勿論ネットにも、場面緘黙症のことはたくさん書いてありました。
「場面緘黙症」でキーワード検索して、たくさんの記事を読み漁りました。
現在は、『学校 話せなくなる』等と検索すればすぐに場面緘黙症がヒットしてくれます。
(もしかしたら、私が当事者のときもそうだったのかもしれませんが、当時、ネットを自由に使える環境に居ませんでした。)
大切なのは、特定場面で話せない事実が発覚してから、『もしかして場面緘黙症?』と、気付くまでの時間をなるべく短くすることです。
逆にこの時間が長すぎると、残酷な大変さを味わうことになります。
本人は、ずっと自分のせいだと思い込み、自己否定して苦しんでしまいます。
周囲も、よくわからない不思議な頑固者と思い、手を焼いてしまいます。
場面緘黙症は誤解されやすい
筆者が考える、「場面緘黙症」が誤解されやすい要素は以下になります。
①発症時期が低年齢
場面緘黙症は2歳~5歳という物心がやっとつく時期に発症するケースが多いようです。
あまりにも幼い時期のため、自分の状態を上手く周りに伝えることが難しいのが現状でしょう。
本人も自分が「話せない」のか「話さない」のか、どちらかがわからないまま、周りから「わざと話さないんでしょ」と決めつけられてしまいます。
②行動への解釈
心理学の本を読んだとき、下記のことが書いてありました。
・人は、自分の行動は周りの環境が原因として認識する ・一方、他人の行動は他人の意思でそうしてると思う傾向がある
この特性も関与して、場面緘黙症の子は周りから見ると余計に「本人の意思で話してない」と見えるのかもしれません。
③何も言わないから困ってない?
場面緘黙症の人は困っていても、発信できません。教室でも、目立たなく忘れ去られそうな存在になってしまいがちです。周りにSOSが出せないため、「何も対応は必要ない」と思われてしまうのです。
以上のように、場面緘黙症は「誤解されやすい」要素が多いです。
最後に
当サイトは、12歳まで場面緘黙症だった筆者の体験談をベースに「場面緘黙症」の情報を発信する目的で開設しております。
今後の展望としては、「場面緘黙症がより正しく理解される社会」になっていくように、自分ができることを模索していきたいと考えています。
また、私は場面緘黙症の「当事者」であり、場面緘黙症の専門家ではない点は、ご了承願います。
今後も精進してまいりますので、よろしくお願いいたします。